勧請大日如来(かんじょうだいにちにょらい)
昨日の続きになりますが
登りきると
こんもりと
土が盛られたような
場所に
石碑が
建っていました。
石碑には
寛永元年
(1624年 徳川家光の時代)
九月吉日
と刻まれています。
昨日の
十一面観音
より更に古い時代に
建立されたものです。
江戸時代の初め
宿の民は
信仰のため
多くの石仏を
建立したようです。
勧請(かんじょう)という意味は
神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること
のようです。
つまり、宿の民が大日如来の分身を
ここに祭ったということではないでしょうか。
また、大日如来は宇宙の中心であると言われているので
山の頂上(天に近い場所)に祭ったのでしょうか。
そして、昔の人達はこの石碑の前で何を願ったのでしょうか。
自分は家族が健康でありますようにと願い
山を降りました。
内田の風
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地区の歴史を掘り起こす事も
面白そうですね。
投稿: 内田の風 | 2013年1月 6日 (日) 07時47分
千葉県のあちこちにある宿の地名調べると面白いですよ。
尚宿には御公儀の地名(桐)残っています。
まわりの地名、たとえば宿につながっている昔の間道はとか。
刑部、三途川とか極楽寺、庚申塚、なんであったのだろう。
昔の道(赤道)がなに意味しているのだろう。
宿部落の家紋のあれこれ?
百姓に武士の家紋(高貴な)?
投稿: 酒天童子 | 2013年1月 5日 (土) 21時58分
色んな想像をしてしまいますよね。
石仏があったところを地図に落とすと
尾根伝いに高い場所に点々とあります。
投稿: 内田の風 | 2013年1月 4日 (金) 21時00分
無病息災・五穀豊穣とか願ってたのかな?
多くの石碑を建てられるだけの
時の権力者がいたんじゃないかと
勝手な想像してしまう自分です。
投稿: よつはらいた | 2013年1月 4日 (金) 07時29分