« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »
第4回目の会議を行いました。
前回に引き続き
賃貸料や
会の名称
規約等
を協議
しました。
今回はこの校舎で
アート×ミックスへの提案をしたいという
Tさんとう女性の方が参加しました。
Tさんからは自分が提案したい内容や
私達の取り組みや地元の行灯祭りなどについて
ヒアリングがありました。
現在
もんでいるようですが
イメージするものとして
作品を見せてもらいました。
私達の活動に
興味を持って
アート×ミックスにも提案してくれる方が現れたので
木造校舎を何とか地域で復元活用したいですね。
そのためにはもっと頑張らなければと思います。
内田の風
先日、Iさんから家の整理をしていた時に
作成された
内田小学校
創立百年沿革誌
が出てきたので
参考にと
いただけることが出来ました。
今、旧内田小学校木造校舎を
保存・活用しようと取り組んでいるので
この百年誌はとても参考になります。
小学校の歴史や
PTA活動など
書いてありました。
その中には
内田小学校の
変遷を
表にしたものが
ありました。
歴史ある
内田小学校が
よく判ります。
そして
明治5年から整理された
学校のあゆみも記載されており
それを読んでいくと
今私達が保存活用しようとしている校舎は
昭和3年に建築されたようです。
今夜はこの校舎を考える会があり
色々と協議をします。
内田の風
朝、米沢の森を考える会の鶴岡会長から電話があり
として
宿の谷津などを
一緒に
案内してくれないかと
お話しがありました。
そこで午前中
一緒に谷津を歩きました。
今日は財団日本自然保護協会の
自然観察指導員のTさんも同行してくれました。
谷津に着くと歩きながら自然観察です。
冬の時期なので植物少ないですが
小鳥達などを観察する事ができました。
自分は都合で
抜けましたが
その時
ちょうど内田小学校の
子ども達が
バードウォッチングをしながら
谷津の路を歩いていました。
自分もPTA役員の時子供達と一緒に歩いた事を
懐かしく思い出しました。
また皆さんと合流し
古道を歩きながら
石仏を見てきました。
ということで
今日は自然観察と
山歩きの一日でした。
そしてTさんと一緒に歩いて
色んなことを教えてもらい有意義な日でもありました。
内田の風
現在、地デジ放送の電波発信を
東京タワーから東京スカイツリーへ移転するための
行われています。
宿地区地デジ共聴組合にも
先月
NHKより
地デジ放送の
受信状況を確認するようにとの
案内が届きました。
早朝の
試験時間に
合わせて
起床し
受信状況を
確認してみました。
試験放送は30秒で
その間に1.2.4.5.6.7.8
のチャンネルを確認していきましたが
特に問題はありませんでした。
状況は
組合の回覧で
報告をしたいと
思います。
地デジ送信所が
今春、東京スカイツリーに移転しても
問題がなく受信できるので良かったです。
でも早朝の受信確認は眠いし、寒いしと
大変なので何とかならないかと思いました。
(詳しくは東京スカイツリー移行推進センターで
対応しています。)
内田の風
昨日の続きになりますが
登りきると
こんもりと
土が盛られたような
場所に
石碑が
建っていました。
石碑には
寛永元年
(1624年 徳川家光の時代)
九月吉日
と刻まれています。
昨日の
十一面観音
より更に古い時代に
建立されたものです。
江戸時代の初め
宿の民は
信仰のため
多くの石仏を
建立したようです。
勧請(かんじょう)という意味は
神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること
のようです。
つまり、宿の民が大日如来の分身を
ここに祭ったということではないでしょうか。
また、大日如来は宇宙の中心であると言われているので
山の頂上(天に近い場所)に祭ったのでしょうか。
そして、昔の人達はこの石碑の前で何を願ったのでしょうか。
自分は家族が健康でありますようにと願い
山を降りました。
内田の風
元日、大晦日に続いて
山に入りました。
目的は米沢の森の方達が発見した
の写真を
撮るためです。
古い路を登り
途中から
更に
急な路を
登りつめると
観音様が
横たわっていました。
石には
関東上総国内田宿
○○願
同行十四人
元禄三年
十月吉日
と刻まれ
観音の右側には
十一面観音
と刻まれて
いました。
1690年(徳川綱吉の時代)
に
建立されたことが
わかります。
その当時から
内田宿は
あったんですね。
すごい歴史を感じるとともに
昔の人の厚い信仰心にも触れることができました。
そして、さらに尾根の頂上に向かう途中には
埋もれた
石がありました。
掘り起こすと
台座で
文字などは
刻まれていませんでした。
宿の山の尾根には
沢山の石仏があり歴史と信仰を感じました。
内田の風
最近のコメント