石仏
昨日の続きになりますが
庚申塔に向かう峰の峠に
倒れて
いました。
石には
観音様
でしょか
彫られています。
倒れたままでは可哀想と思い
土台に
乗せてあげました。
この石にも
年号が
刻まれて
いました。
近づいて見ると
読み取れます。
宝永は
1704年からです。
昨日の
享保よりも
15年程前の
年号です。
出来事では
富士山の
宝永大噴火ですかね。
(この噴火以来
富士山はこれまで噴火
してないということです。)
この観音様は富士山の大噴火を見たのでしょうか?
今、この石仏の存在を知る人も少なくなり
また石仏の由来を知る人もいなくなってしまいました。
建立した
村人の名前でしょうか
刻まれていました。
この石仏も
庚申塔なのでしょうか?
内田の風
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昨日も二つの石仏を
見てきました。
この石仏は
台座と本体のすわりが悪いので
地震があると
また倒れてしまうと思います。
時々、見に行きたいと思います。
そして石仏の横を通る道は
確かに真ヶ谷につながっていると思います。
今度、確認してみたいです。
内田の風
投稿: 内田の風 | 2012年2月 5日 (日) 07時39分
もう一体、これです!
30年前の写真では、後ろに傾いてはいましたが、
きちんと台座にのっていました。
しかし300年ですか、凄いですね。
真ヶ谷からは、本要害(真ヶ谷城趾)からと、大谷津(1番谷津のお宅)の裏山からの道があります。
今の時期、なかなか時間が取れないので、
確認して頂いてありがとうございました。
投稿: タケチャン | 2012年2月 4日 (土) 00時23分
昨日の庚申塔とこの石仏は
そんなに離れてない所に
建立されていました。
昔の人はこの二つの石仏を
信仰の対象としていたんでしょうね。
内田の風
投稿: 内田の風 | 2012年2月 2日 (木) 19時53分
山の上の石仏
その当時の風習や信仰の現れなんでしょうけど
何百年も経っているってのが、すごいと思ってしまいます
投稿: よつはらいた | 2012年2月 2日 (木) 07時39分