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朝、窓から外を見ると
自治会館の
屋根に
雪が
積もっていました。
道路には
雪が積もってないので
どうやら通勤には問題がないようですが
交通安全でいきたいですね。
天気予報ではから
となっていますので
帰りが心配です!
さて、内田の里には
多くのスギが植えられてあります。
だいぶ色づくというか
花粉を
飛ばすように
なったようです。
花粉症の人には
写真を見るだけで
鼻がムズムズしてしまうかも知れませんね。
今年のスギ花粉は多いのでしょうか?
自分は今のところ花粉症ではありませんが
突然花粉症になるということも聞きます。
もしも花粉症になってしまったら
スギの木が沢山ある里ではきついですね!
内田の風
先日発見した庚申塔について
調べて
見ました。
すると
市原市内の
庚申塔を
調べた
調査書の
存在を
知りました。
そこで
先週末
南総公民館
に行き
図書室で
調査書を
探してみました。
「市原の庚申塔」
調査したのは
市原市石造物同好会
の方々です。
この調査書は
平成6年に
まとめたようです。
調査書を
読んでいくと
庚申塔は
市内に
196基あると
書いてありました。
(けっこう数が
あるんですね!)
の中に
自分が
見つけた
庚申塔も
しっかりと
調査されて
ありました。
内容を
読むと
保存状態は
土に埋もれていたので
上ということでした。
(確かに他の写真と比べ
青面金剛などの彫り物が風化していません。)
材質は安山岩です。
刻まれた
文字なども
解読されて
いました。
調査書を
読み
自分が
見つけた
庚申塔のことを
知ることが
出来て良かったです。
調査書の中には
島田や市場にもあると書いてありました。
次はこれらの庚申塔を見つけに行ってみたいと思いますが
どれも山の中にあるようなので見つかるでしょうか?
内田の風
昨日の続きになりますが
庚申塔に向かう峰の峠に
倒れて
いました。
石には
観音様
でしょか
彫られています。
倒れたままでは可哀想と思い
土台に
乗せてあげました。
この石にも
年号が
刻まれて
いました。
近づいて見ると
読み取れます。
宝永は
1704年からです。
昨日の
享保よりも
15年程前の
年号です。
出来事では
富士山の
宝永大噴火ですかね。
(この噴火以来
富士山はこれまで噴火
してないということです。)
この観音様は富士山の大噴火を見たのでしょうか?
今、この石仏の存在を知る人も少なくなり
また石仏の由来を知る人もいなくなってしまいました。
建立した
村人の名前でしょうか
刻まれていました。
この石仏も
庚申塔なのでしょうか?
内田の風
あっという間に1月が終わり
2月になってしまいました。
年度末は特に時が経つのが早いと感じますね。
話が変わり、先日、ご近所のYKさんから山の峰に
言わざる、見ざる、聞かざる
の三猿が彫られた野仏があると聞きました。
山を登り
峰の道を
歩いていくと
立派な野仏
を見つけました。
石には
青面金剛像と
三猿
が彫られて
ありました。
高さは
自分の
腰ぐらいまで
あります。
近づいて
三猿を見ると
言わざる
耳をふさぐ
聞かざる
そして
目を隠す
見ざる
が見事に彫られています。
金剛像の足元には
二羽の鶏
でしょうか?
それと
髪の毛を
つかまれた
子供の姿が
彫られていました。
そして足元には邪鬼らしき
姿もあります。
この庚申塔には享保六年という
年号が刻まれています。
享保六年は西暦で1721年です。
(8代将軍徳川吉宗が行った享保の改革の時代です!)
291年前に建立されたんですね。
約300年前この庚申塔は
どんな思いで建立したのでしょうか?
今では知るすべもありませんね。
そして、これだけ大きな庚申塔を
山の峰までよく上げたなと驚くばかりです。
今、この庚申塔にお参りに来ているのは
YKさんだけと聞きました。
昔は里の民から庚申様とあがめられていましたが
時代とともに忘られてしまいました。
また、庚申塔の近くには
古道が山の峰をぬうよう続いています。
きっと昔の人達はこの古道を通り
隣村や遠くの村に出かけていたのかなと思いますね。
庚申塔などの野仏については
ネットで調べて分かりましたので
詳しく知りたい方は上の野仏をクリックしてみてくださいね。
または庚申塔で調べると面白いですよ。
内田の風
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